(05-063)

阿片王 満州の夜と霧

阿片王 満州の夜と霧

ジャン=リュック・ゴダールをはじめとするヌーベルバーグの映画作家たちに大きな影響を与えたフランスの映画理論家でドキュメンタリー映画の実作者でもあったアンドレ・バザンの言葉である。
「私は捕虫網を使わない。素手で蝶々をつかまえる」
この非常に美しい言葉のように、先入観や固定観念という捕虫網を使わず、満州という巨大な蝶々を、というより巨大な毒蛾を、自分の素手のなかにつかみとりたかった。言葉をかえるなら、誰の胸にも突き刺さる「小文字」だけで、満州を等身大に描きたかった。
それを保証するのは、唯一、そこに生きた人間を、人間だけを徹底的に描きだすことである。これは、私が素手でつかまえた人間たちが、手のなかでうごめくままにまき散らした鱗粉の紋様がのぞかせた人間喜劇の物語といってもいいだろう。(P.432 あとがき)

大東亜戦争前・中と帝国軍軍費を稼ぎ出すために支那で阿片を売り捌き「阿片王」と呼ばれた里見甫と彼を取り巻く時代と人物達を描いたノンフィクション。
著者の本書の為の調査は、ズボンのポケットに入れ忘れて洗濯機で洗われてしまった和紙の手紙を注意深く広げ、飛び散った破片を丹念に集め、なんとか読める状態にすることを連想させた。
里見甫なる人物はこの本を読むまで全く知らなかった。5/20の拙日記で紹介した『僕の見た「大日本帝国」』を、大東亜戦争時に既に成人だった知人に貸したところ、「これを読みなさい」と本著を貸してくれた。戦争とは単なる殺し合いではなく、裏側に隠れて見えない謀略が蠢いていることを伝えたかったのだろうか。また、著者が書いているように、「自分がやってきた戦中体験を率直に息子の世代に語る親は、むしろ珍しい」為、語る代わりに息子世代にあたる僕にこの本を貸してくれたのかもしれない。いずれにしろ、著者により一枚一枚めくり取られ、一片一片つなぎ合わされた事実は、大東亜戦争の新たなる一面を明らかに僕に見せてくれた。
余談だが(この日記自体余談なのだが)、僕の実家は福岡で、里見甫が敗戦後帰着した雁ノ巣飛行場まではすぐのところだ。父が「ここは、昔、飛行場やったっちゃが」と言っていたが、あまり実感が湧かなかった。しかしながら、こういったノンフィクションの一場面として描かれると、あの廃屋同然の建物からは赤茶けた色彩が削ぎ落とされ、でこぼこの古びた滑走路からは雑草が消える。
たかだか六十数年余前のことなのに、僕はあまりにも知らな過ぎると改めて実感。