板倉雄一郎さん KISS第61号「速度超過」】(4/27)

結局、テクノロジーによって得られた効率は、それによって得られた時間を、さらに効率を上げるために消費されるばかりで、「生活の余裕」には、つながっていないのです。
いくら効率を追求しても、その結果、リスクが高まるのでは、本来何のために効率追求なのかさっぱりわかりません。
いくら稼いでも、稼いだお金の使い方をおろそかにすれば、何のために稼ぐのかさっぱりわかりません。
どれほど、投下資本利益率を上昇させても、資本コストがそれ以上であれば、何の経済価値も生まれません。
行動を起こす前に、何を得て、何を失うのか?
そして、そもそも、何のために、その何かを得ようとしているのか?
まずは、それを「考える時間」を作ることが、重要です。

昨日読み終わった「半落ち」でもドキっとさせられた一言と重なる。
「あなたは誰のために生きているんですか−。」
私は何のために生きているのか、何を得ようとしているのか、それはその時々で微妙に変わっていくものだと思うし、継続して保持することが必ずしも可能でないものであり、少し手を伸ばせば届きそうな希望の様なものかもしれない。夢ほど遠く儚いものではない。
自分の優先順位の一番は何か。それを明確に見つめることができれば、時間はいつでも充実したものであるに違いない。