子どものこと話そう:家事の手伝いは/3=重松清】(毎日 2/16)

僕が子どもの頃(ころ)−−1970年代には、「手伝いをする暇があったら勉強しなさい」「ここはいいから、遊びに行っておいで」と言う親が少なくなかった。

私が子供の頃、「手伝いをする暇があったら勉強しなさい」「ここはいいから、遊びに行っておいで」なんて言われたことは無かった。幸い(?)、家のことを手伝えと親からは散々怒られていた。まぁ、怒られていたのだから、真面目にせず、嫌々やっていたのだろう。正直、「なんで俺がこんなこと。。。」などと考えながら適当に風呂を洗っていたのを覚えている。とにかく、ウチの親は「子供は家事を手伝って当たり前」と考えていたのは間違いない。
現在の我が家。娘はよく家事を手伝っている。特に最近は親が何も言わないでも、決められた手伝いに限らず、黙って手伝ってくれるようになった。妻はそろそろ料理を本格的に手伝わせたいと考えているようだ。息子にはまだ複雑なことはさせられないが、箸を並べるくらいは手伝ってくれる。親ばかかもしれないが、いい子供たちだ。
子供にそれなりの責任を負わせるということはとても大切なことだと思う。自分がきちんと仕事をしないと、誰かが困るのだ。そう考えながら、自分のしたいこととのバランスを考え、段取りを考えることの、子供の成長への影響は決して少なくないと信じる。
手伝いの話題からちょっと逸れるが、娘の通う小学校ではトイレの掃除は掃除のオバサンがし、生徒はしないそうである。気のせいかもしれないが、廊下や教室もなんだか汚れている。自分の身の回り、皆で利用する場所、つまり公共のスペースを清潔に保つことを子供の頃に学習することはとても大切なことだと思うのに、小学校は何をやっているのだろう。他の学校も同様なのか? こういったところにも現在の小学校教育の危うさの一端を見ることができる。
「手伝い」と「学校の掃除」。視点は違うかもしれないが、根の大切さは同じだと思う。