(07-009)働けど働けど懐は暖まらず

ワーキング・プア―アメリカの下層社会

ワーキング・プア―アメリカの下層社会

原題にある「Invisible in America」がしっくりくる。「富めるアメリカ」を最下層で支えているにもかかわらず、富める人々の目に映らない貧困の淵で働かざるを得ない人々の生活を浮き彫りにし、絡まり連鎖しあう原因を解きほぐした上で、今後どうすべきかという課題を提起した本である。
許されざるべきは、機会の平等が保障されていない場合で、その権利が無視されているために人並みの生活を送れない人々のエピソードをには著者同様、怒りと悲しみを感じる。反面、著者の意見に納得しかねる部分もあり、一概に本書全体に賛成もできない。例えば、9・11米国同時多発テロ犠牲者への補償金額について、犠牲となった30歳の2児の父親に対し、年収US$25kであれば補償はUS$1.1M弱、年収US$150kであればUS$3.9M弱という事実に対し、「命には、それぞれ値段がついているのである」(P.115)と批判している点である。前者は42年分に対し、後者は26年分。前者の年収が徐々に上がる可能性が低いのに対し、後者の年収は徐々に上がる可能性が高いことを考慮すると、批判するほど大きな差ではないという印象を受けるからである。また、著者は貧困世帯がケーブルTVにUS$90/月かけるのは情報格差防止を理由に悪いことではないとしているが、生活がぎりぎりであれば既に切っておくべき支出にしか見えない。生活にオプションのチャネルは必須のものではないはずだ。
ところで、最近は日本においても「格差」についてよくメディアが取り上げている。最近印象的だったのは、ネットカフェに寝泊りし、家財らしきものは駅のコインロッカーに預けている若者たちの姿を取り上げたものだった。現在、彼らのような生活を送る人はどの程度いるのだろう? 今後増えていくのだろうか? 今は親の脛にかじりついているニートにしても、いずれ親がいなくなることを考えれば同様の貧困予備軍と考えられる。
日本でも低所得層がグングン増加していることを考えれば、本書は対岸の火事ではない。貧困層の増加は社会に様々な影を落とすだろうし、巡り巡って国民の一人ひとりの肩に負担が圧し掛かってくるに違いない。何ができるのか、何をすべきなのか、今から考えても遅いくらいかもしれないが、考える必要がある。
まずは、今度の統一地方選挙。しっかり考えて投票に行きましょう。